「渋谷女性ホームレス殺害事件」から1年

<昨年11月、所持金8円とわずかな身の回りの物を抱えた60代女性が渋谷区幡ヶ谷のバス停で殺された。男(40代)が持っていた袋で彼女の頭を殴りつけたのだ。その場で倒れた彼女の死因は外傷性くも膜下出血。無抵抗な路上生活者に「痛い思いをさせればそこからいなくなると思った」という男の身勝手な「排除」の理由が日本社会に衝撃を与えた。

殺された彼女のような路上生活女性は数多くいる。野宿者など社会的弱者の取材を続けるフリージャーナリスト松元ちえがその実態を追った。>

ヒロ子さんの話

2020年11月、新型コロナウイルス感染拡大に伴い出勤や外出自粛が推奨されていた。バス停で殺された60代女性は失職して路上生活に追いやられた。横になれないバス停ベンチでかろうじて休息をとっていた彼女は、男にとって「邪魔」という理由でこの世から排除された。彼女が直前までしていた仕事はデパート地下街の試食アルバイトだったと言われている。

私がコロナ禍で出会ったヒロ子さん(仮名、50代)も路上生活を強いられ、直近にした仕事はデパ地下の試食コーナーだという。「もしかするとどこかで会っていたかもしれない。まるで他人事とは思えなかった。私にも起こりうること」。

渋谷事件をそう語るヒロ子さんに初めて会ったのは、今夏にあった「女性による女性のための相談会」だった。コロナ禍で女性たちが派遣や日雇いの仕事や住まいも失うような危機に立たされる中でのことだった。

女性が路上生活を余儀なくされる事情は様々だが、私が会った野宿者女性は暴力を振るう配偶者や親から逃げているケースが多かった。

家族から逃れ住民票失う

ヒロ子さんも親の暴力から半ば逃げるように、30歳のころ独り住まいを始めたが、アパートは親に見つかった。押しかけてきた母親は、夜中に玄関先で彼女を怒鳴り散らした。以来そこにいられなくなり、別のところで隠れるように暮らした。

ヒロ子さんは居所が親に知られることを恐れ、本名も使わない。個人情報の取り扱いを気にしながらの暮らしだが、そうこうしているうちに居住実態のないアパートの住民票は抹消された。「これで居場所を探られずに済む」と、そのままに。住民票の再取得はせず、親とは戸籍の上で分籍した。

だが住民票喪失は定住できないことを意味する。生活はウィークリーマンション、トランクルーム、自立支援寮と、収入が減るにしたがって、同じ場所に定住する期間が短くなっていった。寮付き工場労働に就いてしのいだこともあったが、屋根のある場所での暮らしと路上生活を行き来するようになり、13年ほど前から完全な路上生活に。現在、生活保護を利用しつつ路上を「放浪」する。

路上生活でも「定住」できず

生活保護を申請すると、路上から自立支援寮やアパートに転宅するのが一般的な流れだが、ヒロ子さんがそこにたどり着くまでには「親」という大きな障壁があった。家族に居所を知られる恐怖からどうしても住民票を取得できずにいる。

野宿生活は危険で溢れていて、とりわけ女性には負担が重くのしかかる。男性野宿者なら、たいていはブルーシートのテントを張って「家」を構え、都市圏の公園や河川敷、ガード下で「定住」する。ジェントリフィケーション(都市美化政策)のせいで今ではあまり見られなくなった。だが女性野宿者は、一つの場所に「定住」すると、逃げてきたはずの親や夫に居場所を知られる危険があり、見ず知らずの人から暴力を振るわれる危険もある。そのため、常に移動しなければならない。女性たちが大きな袋を両手に抱えたりカートを引いているのはそのためだ。全所持品を持ち歩かなくてはならないが、駅のロッカーや手荷物預かり所を使う余裕はない。

ヒロ子さんもそうだ。旅に出るかのような巨大なリュックをカートで引き、その上にカバンをもう一つ乗せて歩く。小柄な体に大きすぎる荷物を抱えて日々移動する。

援助求めても体調悪化

世界的不況のあおりで雇い止めにあった派遣労働者が2008年、各地から東京・日比谷公園に集まった。そこにヒロ子さんの姿もあった。路上生活を脱したい一心で支援を求めて宿泊所を紹介してもらった。しかし生活は安定するどころか、いっそう精神的不調になってしまった。

原因は、人が寝泊まりするには不潔すぎる宿泊所だった。それまで「平均よりは多少きれい好き」という程度だったヒロ子さんの潔癖は度を超え、強迫観念となるほど深刻に。精神科で、汚いことに恐怖を感じる「強迫性障害」と診断された。

コロナウイルス感染拡大後のことをヒロ子さんは語る。「今までで最悪の状態。手にする物は何もかも消毒しないと安心できない。マスクをきちんとしていない人が通り過ぎれば、全身に消毒液を噴霧する。アルコール瓶を半分くらい使って、頭から爪の先まで入念に消毒しなければ気が済まない」

どこにいても邪魔扱い

荷物の大半は強迫性障害を和らげるための消毒グッズ。ヒロ子さんはすべてに消毒を施す。店に入れば、買い物かごをウェットティッシュで消毒。消費期限が迫る割引のバナナや豆腐をそれぞれ100円ほどで購入すると、財布にしまう前にレシートも消毒。商品もそれぞれ消毒してから袋に入れる。消毒せず椅子に座ることもない。そのため、1日を通してヒロ子さんが座ることはあまりない。

ある日、いつものように公園のベンチに消毒済み新聞紙を敷いて、格安で買った海苔巻きを食べていた。そこへ、近隣マンション住民から「気持ち悪い」と通報を受けたと警察官が来て、彼女に職務質問を始めた。ヒロ子さんが野宿者だとわかると、警察官はあざができるほどの力で彼女の腕を掴み、ベンチから投げ落とした。勢いで地面に倒れこんだ彼女は「地面がどれだけ不潔か」説いたが、警察官は「バイキンはお前だ」と吐き捨て、去っていった。

別の晩。泥酔客が終電で去った時刻にヒロ子さんがベンチで仮眠をとっていると、突然見知らぬ人から叩き起こされた。「ここはお前がいるところじゃない」という怒鳴り声と共に、ヒロ子さんはベンチごとひっくり返された。

他人から受けてきた攻撃は、渋谷のバス停で殺された女性となんら変わりない。

「男性は路上で喫煙してもマスクなしで酒を飲んでも、何やっても文句を言われない。しかし女は何をやっても文句を言われる」「路上生活者でも、身辺を過度なまでに消毒する私は感染防止にむしろ貢献しているはず。感謝されてもいいくらい。それなのに『バイキン』呼ばわりされるとはひどい。何をやっても邪魔者扱い」。自身の強迫性障害は人間不信からきているとヒロ子さんは感じている。

自尊心のためアパート審査取り下げ

大卒で一部上場企業に勤めていたヒロ子さんは、意見をはっきり言うタイプの読書家。とりわけSF小説が好きだが、理由は「仮想世界のおとぎ話だからではなく、現代社会の未来像を描いているから」と言う。

そんな彼女だからこそ自分の将来も深く考えてしまうのか。やっとたどり着いたアパート入居審査の直前で取り下げを申し出た。夏に支援を仰いだ相談者と共に手続きをし、何とかアパート転宅が叶う直前だった。「アパート契約審査に受からなかったら、もう立ち直れないくらい落ち込むだろうから」。

自分で調べるうちに、アパート転宅が最も厳しいと言われる3つの要素が「単身女性、障がい者、高齢」であることを知った。それに当てはまる自分は審査を通る可能性が極めて低いと気付いたという。居住審査で「不適合」と判定されることは、ある意味、人として生きるための必要最低限の要素も満たさない、と烙印を押されるほど惨めなことなのかもしれない。

これまでも親から否定され、警官や駅員、地域住民や清掃員からも嫌がらせや排除を受けてきた。住所不定でも生活保護は利用できているが、暴力的な親から逃れるためプライバシーを保ちながら定住できる住まいを確保することは不可能だ。そもそも住民票がない。政治や制度から除外され続けた経験は、想像を絶するほどヒロ子さんをどん底に陥れたのだろう。

屋根ある暮らしを直前で断念せざるを得ない彼女にとって、唯一これが自尊心を保つ方法だったのかもしれない。彼女に立ちはだかる障壁は厚い。

世界的パンデミックで誰もがヒロ子さんになるかもしれない困難を経験している。今まさに、男からみて「邪魔」という理由だけで、女性がたやすく殺される社会だ。今こそあり方を見直し、困窮女性の支援策を打ち出すべきではないか。

論考全文はこちら:https://friday.kodansha.co.jp/article/212774?fbclid=IwAR0hLNBv2GO0B2tx3kcJhchJIUykFncdHMIDWm6SjN_WXFUkYitHjed4uQc

About the author

松元 千枝(まつもと ちえ)
ジャーナリスト、法政大学法学部メディア分析非常勤講師、東京大学大学院情報学環学術支援員。インターナショナル・ヘラルド・トリビューン/朝日新聞で英字記者、dpaドイツ通信社で東京特派員として勤務したのち、『労働情報』で編集人を務めた。共著に『マスコミ・セクハラ白書』(文藝春秋 2020年)、『マンガでわかるブラック企業』(合同出版 2013年)など、共同翻訳には「世界を動かす変革の力 ブラック・ライブズ・マター共同代表からのメッセージ」(明石書店 2020年)、『ストする中国』(彩流社 2018年)がある。

This post is also available in: English (英語)

前の記事コロナで離婚数増加
夫の申し出で急に家追われる妻
経済的DV証明しにくく
松元 千枝(まつもと ちえ) ジャーナリスト、法政大学法学部メディア分析非常勤講師、東京大学大学院情報学環学術支援員。インターナショナル・ヘラルド・トリビューン/朝日新聞で英字記者、dpaドイツ通信社で東京特派員として勤務したのち、『労働情報』で編集人を務めた。共著に『マスコミ・セクハラ白書』(文藝春秋 2020年)、『マンガでわかるブラック企業』(合同出版 2013年)など、共同翻訳には「世界を動かす変革の力 ブラック・ライブズ・マター共同代表からのメッセージ」(明石書店 2020年)、『ストする中国』(彩流社 2018年)がある。